ゴルフは、長らく「何がスコアを決めるのか」という問いが曖昧なまま語られてきました。パットがすべてだと強調する人もいれば、ドライバーを真っ直ぐ打てればスコアはまとまるという主張も根強く残り、コーチや選手の感覚的な分析が主流を占めていた時代が続きました。この混沌とした問いに対して、コロンビア大学のMark Broadieが数学と統計学の武器を持ち込み、科学的に再定義したのが「ストロークス・ゲインド(Strokes Gained)」という概念です。これは単なる新しいスタッツではなく、ゴルフの理解そのものを最初から組み替えるほどの影響を与えた理論だと言えます。
ブロディーの発想は極めてシンプルでありながら、驚くほど深いものです。彼はまず、1打の価値を絶対的に評価することは不可能だと考えました。フェアウェイから150ヤードをピンに寄せた1打と、深いラフから同じ距離を乗せた1打は、本質的に比較対象が異なります。そこで彼は膨大なShotLinkデータをもとに「ある地点からホールアウトするまでに必要な平均打数」を算出し、これを期待値として扱いました。この期待値E(x)は距離だけでなく、ライ、ラフの深さ、グリーンスピードといった複数の変数によって決まる多変量関数であり、単純な距離スコアでは表現できない、ショット環境の複雑さを数理的に包摂しています。

ストロークス・ゲインドの核心は、この期待値を基準にショットの価値を定量化したことにあります。ある地点から打つ前の期待値をE_before、打った後の地点の期待値をE_afterとし、SG=E_before − E_after −1 という計算式で、平均的なPGAツアー選手と比較してそのショットが何打得をしたか、損をしたかを評価します。これにより、従来の「乗った」「外れた」といった二元論や、パット数やフェアウェイキープ率のような表面的な統計では捉えられなかったショットの価値が、明確な数値として浮かび上がりました。
ブロディーの論文の中でとりわけ興味深いのは、分散分析の結果、スコア差の大部分がどこで生まれているかを明確に示した部分です。それまで「ゴルフはパッティングのスポーツだ」という通説が根強く信じられていましたが、彼のデータはその常識を覆しました。72ホールのスコア差の約3分の2はティーショットとアプローチ、つまりロングゲームによって説明され、パットの寄与は全体の15~20%程度に過ぎないことを示したのです。これはゴルフ界にとって衝撃でした。長年信じられてきた「パットこそ最重要」という信念は、統計的には成立していなかったのです。
この結論が意味するものは単純ではありません。単にロングゲームの方が大事だという話ではなく、ゴルフは「どれだけミスの損失を小さくできるか」という期待値のスポーツであり、最も損失が大きくなる可能性を孕むのは長い距離のショットだという事実です。ドライバーやセカンドショットは、散布幅も大きく、ハザードに入る確率も高く、ブロディーの言葉を借りれば「高リスク・高変動領域」です。一方でパッティングは散布幅も小さく、期待値の変動も少ないため、上振れも下振れも起こりづらい。結果として、スコア差を説明する比率は相対的に低くなるのです。この視点は、ゴルフの練習構造やレッスン哲学に大きな変化をもたらしました。

さらに彼の研究はDECADEなど現代の戦略理論にも強い影響を与えました。ショットの散布幅を確率分布として捉え、その分布が最も損失を生まない方向にターゲットを設定するという考え方は、ブロディーの期待値理論がなければ成立し得ません。つまりブロディーは、ゴルフの「結果」の科学ではなく、「意思決定」の科学へと道を開いた人物でもあります。
ストロークス・ゲインドの最も重要な功績は、ゴルファーの錯覚を正したことです。選手は自分のプレーのどこで損をしているかを正確に理解できていないことが多く、特にアマチュアはパットや小技を過大評価しがちです。しかしSGの数値は冷静で、しばしば残酷です。ミスはどこで、何打分の損失として積み重なり、どの距離で最も改善の余地があるかが、数学的に浮き彫りになります。感覚に頼らず、事実に基づいてゲームを理解するという発想が、ゴルフを新しい時代へ引き上げたと言えるのです。
ストロークス・ゲインドは、単なる統計指標ではありません。それはゴルフという競技を「期待値の最適化ゲーム」として捉え直すレンズであり、ブロディーの研究とは、感覚の世界にとどまっていたゴルフを科学の地平へと連れ出した、画期的な転換点なのです。